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大卒の肩書きは究極的に必要?今一度問い直すべき命題

 

· キャリア

大卒の肩書は究極的に必要なのか?

高い学費を無駄にして、授業を放棄し、

一コマあたりの授業の単価よりも低い時給のアルバイトに身を粉にしている大学生。

中には奨学金返済のために水商売に精を出す人もいるとすら耳にする。

それほどして「大卒」の肩書きが必要な世の中なのだろうか、

冷静になって今一度考えてみたい。

今は大学全入時代と呼ばれ久しいが、学生数の減少に伴い、

2018年問題が発生することが既に予想されていることは有名。

*2018年問題とは?

2018年問題(2018ねんもんだい)は、日本大学受験業界において用いられている言葉である。日本の18歳人口2018年ごろから減り始め、2015年現在で定員割れが全体の4割にのぼる多数の私立大学閉校等の激変期を迎える問題である。

2010年頃から私立大学の淘汰、公立大学化が始まっている

参照元:https://ja.wikipedia.org/wiki/2018%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C

今はある一定の水準、つまり学力、もしくは経済力があれば

誰でも大学に入学することができる時代。

これはみなが裕福になってきたわけでもなく、

シンガポールのように学力がみんな高いわけではなく、

単に大学数が圧倒的に多いだけと言える。

「367,507人」が名ばかりの大卒になるリスク

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平成27年度の文部科学省のデータによると、日本の大学合計数は779校。

その内私立大学は604校と圧倒的に多く、全体の77%を占めている。

入学者数(その多くは18歳人口とも言える)が617,507人おり、

各大学に等しく分散した場合、各校792人の入学しかできないことになる。

しかし、私の母校である同志社大学であれば、

経済学部だけで1,000人以上毎年入学しており、

1学年で10,000人近くが入学しているため、

いわゆる有名大学に偏って学生たちが集中することになる。

となると、名前だけ書けば入学できるような大学(俗にいうFラン大学)は、

定員割れするのが当たり前であり、2018年問題の影響で、

多くの大学が経営困難に陥り、自然淘汰されることは容易に想像可能だ。

視点を変えて、難関校が50校あり、

各校5000人の定員しかないと仮定してみる(同志社の学生数は一旦度外視)。

そうすると、難関校に入学できる人数は250,000人。

では、617,507人の日本中の入学者数から差し引くと、

367,507人が一般レベルの大学、またはFラン大学に所属することになる。

今回フォーカスに当てたいのは、この「367,507人」。

そこまで大した努力もせずに大卒の肩書きを

手に入れようとした人と私は認識している。

(もちろんいろんな生き方がありますが、個別に見ていくと途方にくれるので便宜上一括りにする)

400万円の投資。その先にある未来とは?

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私が卒業した高校はもはやほとんどが大卒の肩書き欲しさに、

茶髪から黒髪に戻し、高校三年の9月には指定校推薦のため、

教務室に並んでいたことを思い出す。

「そこまでして卒業する価値のない場所にどうしていきたいのだろう?」

と当時不思議で仕方なかった。

それから既に8年が経過したが、彼らが華やかな生活をしているわけでもなく、

田舎でのんびり暮らしているように思える。

私立大学なら学費だけで合計400万以上掛かり、

それが親の負担、または奨学金返済のために

自己の将来の負債として返ってくるのが現実。

ある種投資をしたことにはなるが、その回収は一体何年かかるのか。

そもそも高卒で働いている人と比べて、

どんなスキルが身についているのだろうか?

中にはコミュニケーション能力をサークルを通じて身につけたと言う人がいるが、

それは大学に入らなくともできることだろう。

特殊技能やそれに伴う資格を取得した、ならわかるが、

抽象的なものを身につけたと言う人は危険以外の何物でもない。

ただ、周りが大学に進学するから自分も

その仲間入りしたかっただけなのではないだろうか?

「君も大学を出ているけど、なんで入学したの?」と思われるだろうから、

先に回答しておくと「英語の教員免許を取得するため」であった。

今は別の職業に就いているが、高校生の時はその目的を果たすために、

手段として同志社大学の英文学科を目指した。

大卒の肩書きを得るよりも有意義な時間とお金の使う方法

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主観ではあるが、大した努力をしなくても入学できるような大学に入るくらいならば、

私は下記のことをすることをオススメする。

①同じ学費分の費用を使って世界一周

②中国や東南アジアの大学に入学(シンガポールは無理)

③大前研一のBBT大学に入学(オンライン授業)

ワーキングホリデーを使って英語圏で働く

TECH CAMPのような短期間でエンジニアを目指す

まず飽和した日本社会で人並み、またはそれ以下のところに属するくらいなら、

他の人があまり挑戦していないフィールドに進む方が価値は高い。

特に、英語や第二外国語を話せる人が圧倒的に少ない日本社会では、

外国語を話せるだけで十分なアピールポイントになる(面接官のおじさん基本話せないからね)。

テニサーに入らなくとも、地域のコミュニティー、はたまた、どこかの大学に潜り込んでサークルに所属することも実際簡単(私が立ち上げたサークルでは何もかも受け入れた経緯があり)。

置いて行かれる日本の無目的大学生と追随する海外の学生

無目的に日本の大学に入るくらいであれば、

無目的に海外に身を置いた方が視座が高くなり、

自分がどのようにすれば生き残れるのかを考える良い機会となり得る。

また、アジアの学生は本当に圧倒的に勉強をしている。

日本の大学生が授業サボってアルバイトしている間、彼らは学びに投資している。

外国語が話せるからといって日本みたいにチヤホヤされないし、

新卒一括採用の概念もないので、ライバルは中途採用組。

勝つために自分の市場価値をあげることに必死で、

それをしない人は残念ながら自然淘汰されゆくしかない。

日本人の大学生がのんびりできるのは日本社会しか見ていないからであり、

一歩外に出たらそれがどれほどの過ちなのか気付くはずだ。

まずそもそも学費に見合ったインプットができていないからね。

私が尊敬するホリエモンは東大に入ったものの、

肩書きを捨てて退学され、本田宗一郎は

大学を行かずにHONDAを一世一代で作り上げた。

彼らの功績と肩書きは全く相関性がない。

もちろん有名人でなくとも、身近にも

高卒で活躍されている方はゴロゴロいるのが現実。

逆に大卒の肩書きが必要になるのは下記のケース。

①海外のVISA取得条件(国によって異なるので、落胆する必要なし)

②新卒採用時(ある一定の大学でないと面接にすら行けない。恐ろしや足切り)

また更に視点を変えて海外から見れば、

東京大学、京都大学、早稲田大学、慶應大学くらいしか認識されていないわけで、

無名な所に行く必要がないし、求められるのはその人自身のナカミ。

学歴?語学力?人間力?

そこまでして大卒の肩書きが必要なのかぜひ問い直して見てほしい。