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偶には息抜き!台湾の観光地を2箇所だけピックアップしてお届け!

· 台湾,海外,歴史

今回は偶には息抜きということで、台湾の観光地を2カ所紹介したいと思います。

というのも、この記事自体、大学生の時に作成したもので埃をかぶったような状態になっているので、復刻版を少しずつ世に生み出していこうとしているからという意図があります。

参考URL:台湾紀行② http://zhenren63.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

この記事を作成した当時は、台湾人の彼女と遠距離恋愛をしていて、

必死に台湾のことを勉強していた背景もあります。

結局、別れることになりましたが、おかげで台湾については

一般のレベルを超えて理解できているかと思います。

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まず一カ所目は、”九份”です。

この地はとにかく日本人が多いところです。
それはなぜか?
もちろん観光ツアーに含まれるから、といえばその通りなのですが、

実はジブリの名作「千と千尋の神隠し」のモデルとなっているからです。

これは有名な話なので説明不要だったかも知れません。
この千と千尋の神隠しでは、夜になると赤い提灯が輝き、賑やかな雰囲気を醸し出していますよね?
九份は夜になると赤い提灯が輝き、まさに映画の世界に溶け込んだ感覚に陥るみたいです。
生憎、私が観光した時は昼間だったので、赤い提灯は暗いままでした。

また、九份は「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」という名前の由来があるようです。

そして19世紀末に金が見つかったことをきっかけに急に脚光を浴びることになります。

日本統治時代の背景もあってか、日本の企業によって最盛期を迎えました。

第二次世界大戦終結後、金の採掘量も減少傾向となり、廃坑となった糾紛ですが、

当時台湾で口にすることがタブーとなっていた228事件の映画の舞台として使われることになり、

その後再び脚光をあびることになり、町おこしとなったようです。結果今に至ります。

歴史あり、景観ありの九份に一度は足を運んでみるのはいかがでしょうか?

場所は台北から電車に乗り、バス一本で着きますので、難易度は低いでしょう。

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二カ所目は、”基隆(キーロン)”です。
ここは港町として栄えています。

概要は以下の参照(wikiより)
基隆市(キールンし、中国語:基隆市、英語:Keelung)は台湾北部にある省轄市である。台湾で2番目の貨物取扱量を誇る基隆港を抱え、台湾の貿易・物流の重要拠点である。観光では奠済宮を中心に栄えた夜市(廟口小吃)が特に有名。

この街は台湾にとっても、外国にとっても重要です。
台湾の北部にあるので、上記のように貿易・物流の要です。
台湾の貿易を支えていると言っても過言ではありませんし、

外国の企業にとってもこの港を経由してビジネスをしているわけです。

貿易としての要衝だけではなく、深い歴史もあります。
まず、この地はスペイン人によって占領されました。
その次に、オランダ人によって奪われました。

台湾を別称フォルモッサと呼ばれるようになったのはオランダ統治時代です。

フォルモッサとは、「麗しき島」という意味であり、昔から台湾は評価の高い島だったことがわかります。

現代では、皮肉なことに、フォルモッサという企業がベトナム中部で汚染水を海に垂れ流しで、大量の魚が死ぬ事件が発生していますが。

オランダの後を追うように大陸から鄭成功が台湾に乗り込み(清朝政府から逃げてきた)、オランダ人を駆逐しました。
スペイン人やオランダ人は大航海時代の流れでアジアの海に突入し、特にオランダは日蘭貿易をする上で、燃料補給の中経地点としてどうしても台湾を必要としていたようです。

ちなみに、オランダ人はインドネシアに400年間植民地支配をしておりましたが、第二次世界大戦中、大日本帝国が数日間でオランダ人を駆逐した歴史があります。

意外とオランダ人は攻められると弱いのかもしれません。マリファナばかり吸っている暇はありませんね。

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そして、鄭成功の時代は数十年で幕を閉じ、清朝に制圧されました。

当時の清朝は最強だったのかもしれません。
しかし、1840年のアヘン戦争を機に眠れる獅子と謳われた清朝政府の弱さが露出し始め、1894年の日清戦争の終戦条約である下関条約によって、清朝は大日本帝国に台湾を割譲しました。
日本の統治が第二次世界大戦終了までの50年間続き、台湾に住んでいた大陸の人々はキーロンの港から大陸に帰還しました。
228事件で外省人が本省人を処刑したのもキーロンでした。

このようにキーロンは台湾の歴史を語る上では避けて通れない街です。
説明が拙いですが、自分の目でキーロンを見て、
「ここから大陸に戻れることを楽しみにして去っていったのか」
「ここで銃で撃たれて海に落とされたのか」

と様々な風景を思い浮かべながら考えました。

台湾は知れば知る程深い国です。

しかし、非常に残念なのが台湾のことをただの観光立国と思っている日本人が多いこと。

アメリカ人に一時期占領されたことを知っていても、日本が他国を占領していたことを知らないのは一方的な被害者意識が強いわけで、ご都合主義の末裔である、としか言えません。

歴史を積極的に理解する姿勢を持ってもらいたいです。まず身近な台湾からでも。