Return to site

なぜ日本人は個性がないのか?ベトナム人との比較を通じて考えてみた

· キャリア,ベトナム,日本人

いつ迄経っても個人主義は形式主義の戯言

私が小学生の頃からよく、「これから個人主義の時代」とよく言われ、

個々の生き方・考え方を尊重する、みたいな話は耳にしておりました。

個人主義と対照的なことは全体主義で皆さんご存知かと思います。

不思議なことに、今でもなお「これからは個人主義の時代」の始まり、

なんていつまで同じこと繰り返していってるのか。

一方、ベトナム人は確実に「個人主義」の集団だと感じています。

個人主義は必ずしも一匹狼のように生きることを指しているわけではなく、

あくまで個人の主義・主張を大事にしています。

なぜこれまでも差が生じているのかを比較しながら見ていきます。

日本の全体主義は国民性

broken image

*顔や服が違っても、結局中身が一緒な日本人を想起させるシュークリームたち

「日本人は一人だと豚だが、3人集まると龍になる。

一方、中国人は3人集まると豚だが、一人だと龍になる。」

という言葉をご存知でしょうか?

この諺は日本人は一人だと全く動けないけど、

集団行動になるといつも以上の力を発揮することができることを意味しています。

また、昔から「恥」が日本の文化に色濃く受け継がれています。

「戦で負けたら切腹」(侍さんたち)

「一大事にゴルフしてたから首相退任」(森元首相)

「就活失敗したから自殺」(世の不条理に巻き込まれた就活生)

恥のせいか、「失敗=悪いこと、恥ずかしい」構図が出来上がり、

いつの間にか周囲に合わせる行き方を選ぶことになります。

自分の素晴らしき人生の第一歩目を選ぶはずの就職活動ですら、

「同じ髪型、同じ化粧、同じスーツ、同じカバン、同じような志望動機」

最終的には「やはり、人、ですかね?」とかいう、内定を獲得するための決め台詞、、、

と、全く個性がない無味乾燥なイベントになっており、

日本の未来が暗くなるのではないかと思わざるを得ません。

そしてご都合主義の賜物と言える「総合職」として組織の中に組み込まれ、歯車として働くことになります。

それぞれの個性を生かす組織体制は欠如し、また、働く側も特に意見を言わないためお互い探り合いで個性を押し殺すことに。気づけば、仕事ができるできないよりもビールの注ぎ方や美辞麗句が重視されてしまい、価値基準は偏ってしまう、ことなんてあるのではないでしょうか。

もはや全体主義は日本の負の国民性としか言えません。

みんなと一緒だと安心なんでしょうが、人生損しているように私からは見えます。

安定こそ不安定、なんてね。

全体主義は後回し!個人を愛するベトナム人

broken image

一方、ベトナム人は完全個人主義的な行動をこよなく愛します。

常に気にしているのは何回も何回も撮り直しの果てに投稿したFacebookの自撮り写真。

道のいたるところで自撮り棒が販売されています(英語名はSelfie Stick)。

いかにして自分を美しく見せるのか、そして周囲から、

どのような反応があるのかを気にします。

コメントすると一瞬で返事が来るくらいです。

こと、仕事においては集団でいるとお喋りばかり。

実際はベトナム語で話しているだけなので、

真面目な話をしているかもしれません。

集団でいることは好きですが、個人のことも非常に大事にしています。

仕事では、「このスキルを身に付けたい」とか

「今の会社は給与が低い」と思ったらすぐに転職活動を始めます。

日本みたいに「あの上司、同僚がいるから辞めたくない」や

「石の上にも三年っていう言葉もあるから辞めない」と、

言う人は稀有な存在です。上司や同期がではなく、個人が人生の主人公であり、自分の物語を編み出すためにはある種自己中心的な存在になりえます。

まさに人生は一度きり。彼らは自分のことを大事にしています。この場では決して否定も肯定もするつもりはありません。

しかし、自分と同じくらい大事なのは家族。

家族に何か異変があれば突然会社からいなくなることがあります。

大型連休があれば必ず実家に帰り、家族とのどかに時間を過ごす文化もあります。

核家族化が進んだ今の日本とは異なりますが、一昔前の日本は一緒だったはず。

これらの比較が必ずしも正しいわけではありませんし、

一面的な見方であることは筆者も感じています。

筆者自身全体主義者の気持ちも個人主義者の気持ち、両方理解することはできます。

あくまで自分の経験をベースにしてお伝えているのでご容赦ください。

ちなみに、日本の全体主義と破壊するには、

異文化との触れ合う頻度を増やすことが最適だと思っています。

海外から来ている人たちと日本で触れあるのも一つであり、

そもそも「留学・インターン・就職」などの何かしらの手段を使って国外に出なければ、

島国の人々には何が正しいのかが判断できないのかもしれません。

私の経験からはそのように感じます。

broken image

ラオスの首都ビエンチャンから眺めるメコン川の夕暮れ

筆者は断然個人主義者であり、日本から個人主義者が増えればと思います。

じゃないと日本はこれ以上変わることはできないです。

頑張れ日本の若者たち。一緒に変えていきましょう。

まずは自分を認めてみるところからスタートかな?