3年ぶりに日本に帰り、東京に住み1ヶ月が経過しました。
もはや渋谷は俺の庭、と言っていいくらい、毎日渋谷にいます。
渋谷駅から一駅分を歩いているだけなんだけどね。
109でブラブラもラブラブもしておりません。
前置きはさておき、日々感じる悲しい日本人の姿を
今の時点の私の意見をこちらに綴れれば思っています。
技術革新に伴い、世の中便利になってきています。
正直ストレスフリーに生きようと思えば生きられるだけの生活インフラは整っています。
ベトナムで感じた不便さを日本で感じることはほとんどなく、
いつしか遠い日の思い出として風化され、
心の襖の中に閉じ込められる気がしてやみません。
どっちがいい悪いを問うことはあまり意味をなさないので敢えて聞きません。
そして、昔の日本の方が良かった、とすら思っていません。
それは元カノを引きずってばかりのクソ野郎な男と対して変わらないからです(違ったら反論受け付けます)。
しかしながら、率直な意見ですが、東京で生活をしていると人間らしさの崩壊が起こっているように見えます。
電車に乗れば、駅構内や電車で見る人は顔が死んでいるどころか、
人間の顔をした感情なきロボットがただひたすら前に進んでいるように見えます。
もはやベルトコンベアによって動かされる機械と対して変わりません。
その人間のような機械はまたスマートフォンという
魔法のデバイスによって動かされています。
ゲームのコントローラーのように見えて、実は、
コントロールされているのはデバイスを持っている人間自身なのです。
いつしか、人間と呼ばれる人たちはディスプレイとそこに映る自分の顔しか見なくなったようです。
でもただひたすらに前を歩くのです。いや、むしろ歩かされているのかもしれません。
人にぶつかっても何も感じることがないのです。
自分の肩幅と歩幅、ともすればそれが各々のパーソナルスペースなのかもしれないけど、
それらにしか一切の興味がないようにみえるのです。
目の前に困っている人がいても何も感じない、
悲しい日本人の現状を垣間見ました。
どこぞの誰かが言っていたな、
「東京がそうさせるんです」。
本当にそうなのかな?東京のせいにしているけど、
東京に住む人がそのようにさせているだけです。
人のあるべき感情を失ったのか、それともただひたすらに
忘れているだけなのかわからないけど、悲しい。
でも思うんですよね。
きっと彼らは気づいている、この現実は悲しいってことに。
本当は知らない人とも話してみたいと思っているし、
困っている人がいれば助けてあげたい、とね。
シンガポールのように町中に監視カメラが仕掛けられているわけでもないけど、
監視カメラ以上に人の目を気にしながら生きています。
このエコシステムに抗う手段を得なければ、
このまま更に人間の非人間化が推進されることになります。
その末路として、割と正常な人間らしい人間は首を吊ってこの世を去りゆく人もいれば、
生きた死人、もはやリビングデットと呼んでも良いような人も生産されていくのです。
彼らは一体どこにこれから進んでいくんだろう。
なんて毎日考えてしまいます。少し心にゆとりを持って生きられたらいいのにね。
プレミアムフライデーのような制度を導入して、
人と人との距離を縮めてあげなければならないし、
自分らしく振る舞い、自分のやりたいことをするのが当たり前な社会を作らねば、
負の連鎖の工場から一生抜け出せなくなるかもしれないですね。
今日はちょっとカリカチュア的内容になってしまいました。笑
みんなが豊かな人生を送れるように願います。