仮説思考と聞くと、響きが良くて、幾分賢くなった気がします。
私が学生時代に、よく「仮説思考」「仮説思考」と必要性に迫られました。
というのも、社会に出ると「答え」が存在しないため、わからないなりにも仮説を立てて行動をしていかなければならないからです。
ビジネスでよく使われるPDCAも同じく仮説思考の一つとも言えます。
一方、仮説思考ではなく、「思い込み」と聞くとあまり良い印象はないのではないでしょうか?
私自身、いつも思ったら即行動を心掛けていますが、
その度に「ここが原因で悪いので、ここを改善すればうまくいくのでは?」
と仮説を立てながら生きているつもりですが、大概思い込みだったりします。
例えば・・・
私は中学の頃に自分の左目が他の人と違う事に深く悩みました。
というのも、左目の内側(鼻側)が茶色いあざがあったからです。
思春期故に非常に悩み、夜も眠れない日々も続き、
人と目を合わす事が嫌になりました
(今も、後遺症として人と目を合わすのが苦手です)。
そこで更に考えたのが
「この左目のせいで、女性は俺の事を好きになってくれない」
↓
「この左目が治ったら、女性と付き合えるのではないか」
という風に仮説を立てました。
今思い返せば、中学校1年の頃からませていました。
今では時間が止まったのか、中二病のままです。
それはさておき、
思い立ったら即行動。
母親に直接このことを相談しました。
当時、医療のことや目の手術のことがよくわからないから、
「サルの目でも良いから移植手術してほしい!!」
と訴えかけ、超幻術的な手段として、早速左目の手術をする為に眼科に駆け込みました。
目に麻酔入りの目薬を差され、メスを目に入れられるところを
肉眼で確認して(入る瞬間は見えないかw)、
数時間後にはあざの部分は無事に摘出されました。
さぁ、以前よりもマシになり、
「これで彼女が出来るぞ!」
と意気揚々になりました。
早速気になる子にアタック!
3日待たされて、、、、
結局お祈り(お断り)
しかし、「目が茶色かったの知らんかった!」って言われました。
自分が仮説していた、「目が治る→彼女できる」というロジックは間違っていました。
ただの思い込みでした。
(ちなみに、9ヶ月後再度告白したらお付き合いすることになりました)
たとえ話が非常に面白可笑しいかもしれませんが、
世の中仮説思考だと思っている事も大概「思い込み」だったりします。
その思い込みに自分の視野を狭くする事無く、
常に「あーじゃないか?こーじゃないか?」
といろんな方法があるのではないかと模索できるようにしてみたいものです。
*この記事は学生時代に書いた内容をリメイクしたものです