柄にもなく親のことを書いてみることに
2016年11月18日から20日の3日間、母親が我が故郷京都からはるばる異国の地ベトナムホーチミンへ足を運んでくれた。
実は今回で3度目の来越。毎回呼んでいるのだが。
年齢は既に55歳くらいの母親は見た目まだ40歳くらいの元気なおばちゃんだ。
日本にいるときに迷惑をかけていながら、海外に来ても迷惑を掛けているなんて、親と子供の関係は実に特殊。
小学校の時に「親」という漢字を習う時に、
「親とは、木の上に立って子供の成長を遠くから見て守っているんだ。だから親って書くんだよ」と聞いたことがあるだろう。
その時は聞き流すような話であっても、大人になったら腹落ちするストーリーだ。
3日間ほとんど一緒にいたが、最後の最後でふとしたことが浮かび上がる。
「母親は平然な顔をしているけど、息子が海外に一人で飛び出して、本当は寂しくないんだろうか?きっと帰国して欲しいと思っているけど、その思いはただの我儘だと捉え、あえて伝えてこないのだろう」
と。
「実際息子が一人で海外にいるのってどう思う?」
と率直に尋ねて見た。なんとまあ、立場をわきまえない質問だが、家族なら問題なかろう。
「女の子じゃないからなあ、あなたは。好きなことやってる方がいいと思う」
他にも何か言ってたけど忘却した。しかし、的を得たことを言っている。
自分がもし親だったらどうするんだろう?
なんて考えてしまう年なのか、それとも心が成熟してしまっただけなのか。
親は偉大だと思った出来事だった。
海外に行かずとも、国内にいる読者の方も親のことを大事にして欲しい。
私は17歳の時に父親と他界してから、人の死とは身近に存在し、明日は我が身となりうると信じている。
親を今大事にしなければ後悔するかもしれない。
木の上に立っている親をたまには木の根元まで降ろしに来てもいいんじゃないかな。
嗚呼、空港までしっかり見送ればよかったなと素直に思ったちょっぴり冷たく暖かい息子をお許したまえ。
次回は忙しくても見送るよ。