日本に蔓延る便利な人気キーワード「普通」。
私は「普通」という言葉が実はあまり好みではありません。
でも、日本人はこのキーワードに頭悩まし、
意思決定の要因の一つにしているのではないでしょうか?
結論、普通という言葉に悩むのは時間の無駄です。悩む暇あったら勉強してみましょう。
そもそも「普通」とは何か?
辞書によると、
一 (名形動)文ナリ① いつでもどこにでもあって,めずらしくないこと(さま)。「日本に―の鳥」
② ほかとくらべて特に変わらないこと(さま)。「ごく―の家庭に育つ」「―ならもう卒業している」
③ 特別ではなく,一般的であること(さま)。「―高校」↔特殊二
(副)① その事柄が多くの事例にあてはまるさま。一般に。「日本では入学式は―四月だ」
② いつもではないが,ほとんどそうであるさま。たいてい。「朝は―七時に起きる」
要するに、周囲にいる人と差がない状態のことです。
日本では「出る杭は打たれる」という諺が物語っているように、周囲の人と異なることをするとすぐに叩く文化があります。村八分なんて愚の骨頂。二分はお葬式が含まれているので、「ご縁」があるから葬儀には参加する日本人。
周りのことばかり見てるのでしょう。
船が沈没する前に海へ飛び込む時の日本人は?
各国の国民性を比較する面白い話があります。
船が沈没しそうな時に海へ飛び込まないと助からないシーンを思い浮かべて見てください。
タイタニックで言えば、船体が真っ二つに割れて徐々に沈んで行く場面です。
で、実際どのように言われているかというと・・・
アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」
ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して・・・「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」
ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人に対して・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」
韓国人に対して・・・「日本人はもう飛び込みましたよ」
北朝鮮人に対して・・・ 「今が亡命のチャンスです」
関西人に対して・・・「阪神が優勝しましたよ」
日本人はみんなが飛び込まないと動けないのです。情けない国民性ですね。関西人は別の生き物扱いされていて面白いですが。笑
普通に生きるってどういう人生?
平成的な「普通に生きる」ってことを考えてみました。
田舎出身、大学は京都、大学時代に知り合った恋人と付き合い、早く結婚し、子供を2名ほど作り、車と家を購入し、子供が大学に行くまでずっとサポートして行く。
これが日本人が考える普通に生きる人生ではないでしょうか。
正直、私はこのような生き方に一切羨ましさを感じないし、むしろ逆の生き方をしてもいいんじゃないかと考えています。
一昔前まではこんな生き方が王道だったんだろうけど、人生の中で対峙するいろんな問題や国外での経験などを通じて「普通でありたくない」という思いがより一層強くなった気がします。
でも多くのは人はこの普通に生きることで自分自身を落ち着かせようとしているのかもね。
でも「普通」の基準は異なるはず
何かにつけて「普通」と回答する若者がいるとします。
何を持って普通と考えているのかわからないので、意思疎通に困ります。
逆に「普通じゃない」回答をする人のこともその若者は理解することができないかもしれません。
結局互いにとって普通の定義が異なるため、相互理解は不可能であり、
普通なんて本当はないのかもしれません。
普通な生き方をしている人よ、もっと悩むのだ
普通な生き方は基準が異なるので、何を持って普通と言えるのかはわかりませんが、
あなたの基準と相手の基準は異なることは認知しなければなりません。
他の人が自分と違った考え方をしているからといってそれは敵でもないし、普通でもない。
そもそも普通なんて誰かが生み出した固定観念であり、あなたの人生を阻害するくらいなら、道を外してもいいんだと思う。
そして冒頭では悩むなて無駄とはいったものの、本当のところ悩んで欲しい。
普通な人間のまま終わる普通な人生で普通に死ぬなんて普通に面白くないはず。
もはやゲシュタルト崩壊寸前になってきましたが、もっと自由に考えてもいいんじゃない?