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『すべての教育は「洗脳」である〜21世紀の脱・学校論〜』を読んでみた。

· キャリア,学校

仕事が徐々に落ち着き始めてきたので、それと同時に元々の趣味である読書を再開させることにした。読書を通じて、作者の追体験を行い、学びを得て、日々の行動に反映させるべく、今から動き始めることが大事なので、読みっぱなしで終わりにしないようにと心得ている。読書も一つの立派な投資だからだ。

さて、今回は私がもっとも尊敬しているホリエモンこと堀江貴文さんの最新書籍である『すべての教育は「洗脳」である〜21世紀の脱・学校論〜』を読んでみた。

私はもともと英語の教師を目指して文学部に入学したほど、教育志望の若者だった。今では教師を志望していないが、「教育」に対して疑問を持つことが多いので、タイトルに惹かれて読んだのだが、さすがホリエモンという感想を持つと同時に、考えていることが似ていることに気付いた。

いや、むしろホリエモンの動画や本を読むうちに影響を受けて良い意味で洗脳されているのかもしれないことは否めない。

今回の書籍の中で面白かったトピックを下記4点にまとめて簡単に共有したみたい。

日本人はG人材とL人材に大きく分かれる

まず「国民国家」として国家のために働き、モノを所有することが幸福であり、国や組織の中で指示通りに動くことが求められる、いわば軍国主義を未だに日本は継続している。その結果、自分の頭で物事を考えることができない人を産出している要因である。

しかし、インターネットが我々にもたらした世界とは、情報へのアクセス、アクセスすることで得られる「快」の感情。もはや学校で学ぶことが全てではなくなった。

文系の学部で学べる内容はほぼ全てyoutubeなどの動画によって学ぶことができるので、年間100万円を投資してでも大学に通う理由は薄れつつあるが、未だに「学歴」だの「肩書き」だのと日本人は旧態依然の思想から脱出していない。

もはや日本が作り出した「良い大学に入り、良い企業に入り、家族を作り、家と車を買い、ローンを払いながら定年まで働き、余生を年金で過ごし、墓に入る」レールに従う必要などない。にもかかわらず、レールから外れることを嫌う日本人は変わらずにいるのだ。

ホリエモンはここで今の日本人はG人材とL人材に分けられると言っている。

G人材:グローバル人材であり、世界規模で物事を考えられる人材。

L人材:ローカル人材であり、地元思考な人材。

G人材の場合、もはや日本が作り出したスタンダードに価値を感じておらず、自分のやりたいことを場所選ばずに行う傾向がある。また、車や大きな家などのモノを所有することよりも、情報を得られることに価値をみ言い出す。

ここでいう情報とは、インターネット上に転がっている誰でも手に入る情報などではないことを理解していただきたい。彼らが欲しいのはインターネットだけでは手に入らない生の情報だ。

「ベトナムは勤勉な国家である」とはよく言われるものの、私は現地で生活して完全同意できない体験をいくつもしているため、自分にとって貴重な生の情報を得ることができた。きっとG人材はこのような唯一無二な情報を得られることの方がモノを持つよりも幸福を感じられる。

一方L人材の場合は、地元志向が強いあまり、ムラ社会を形成しやすい。もはや中高時代の友人としかつるまず、過去の楽しかった話や武勇伝で盛り上がり、そこに未来志向のある話は存在しない。あったとしても、家族をどのように養っていくのかという話や会社の愚痴。

ルイヴィトンバッグを持つことやトヨタ自動車を所有することが自分の幸福の対象となり、そのコミュニティー内でいかに存在価値を確かめられること、もしくは、村八分されないように生きるかが重要となってくる。

私からしたら全くもって生きにくい社会だ。とっくにこの社会から私は抜け出しているし、17歳の冬からこの世界に踏み込んだ。かといって安住の世界ではないのは十分承知しているが。

禁止ルールにより都合の良い人材が生み出される構造

「宿題をやりなさい」とか「廊下を走ってはいけません」とやたらと学校には学生の行動を制限する禁止ルールが蔓延している。そのルールを通じて、組織や上の者たちに忠実な人間を育成することになる。それはまるでお国のために命を絶った戦時中の人たちにも似ている。

そして、成績の悪い人間は非難の対象となり、教師陣から白い目を見られ、悩みのタネとされる。

その学生がたとえ体育だけは群を抜いて一位だったとしても、国語が苦手だと、「本を読んで国語力をつけなさい」など、勉強しろしろとうるさく言われる(読書は大事であるとは冒頭で伝えている通りだが)。

「禁止ルール」と「べき論」を植え付けてしまった結果、とがることなく、誰もが同じを目指す横並びの社会を作り出してしまうことになり、そのまま大人になった人は頭を使うことができずに、グローバル社会やAIによって自然淘汰の対象となってしまう。

もとより、日本の強みは工業。いわゆる製造業の製造現場で忠実に正確に速く作業できる人が必要ではあったが、それはもはやホワイトカラーには関係がない。時間をかけずに最大の効果を発揮できることが求められる。

でも禁止ルールによって思考停止した人間にはかわいそうな末路しか用意されいない。

日本人の大好きな貯蓄。その背景を知らない人が多い

「貯金がないと生きていけない」と、初対面の人に言われたことがある。

正直、バカじゃないのかと思ったが、「なんで?どのくらい必要なの?」と聞いて見たら、

「事故した時とか家族が病気になった時のため。だけど、どのくらい必要かはわからない」

おそらくこれが9割以上の日本人の思想にちがいない。

要するに、”とりあえず”貯蓄することにしているだけだ。

「貯蓄は美徳」と言われたのは太平洋戦争が始まる頃のことである。

当時、みなさんご存知の「欲しがりません勝つまでは」などのスローガンを打ち出し、一円でも多くのお金を銀行に預けさせた。その貯金は戦争資金へ運用されたのだ。戦争をすると儲かるとはよく言われるが、敗戦国にその論理は通じない。結局、WW2で敗戦した日本は無一文になってしまう。

その後も、貯蓄文化は未だに蔓延っている。

ゼロ金利と言われて久しいこのご時世、銀行に預けたとて何のメリットもない。貯金が増えて、その数字を見て安心するだけで、本来投資して得られた情報や経験などを捨ててしまう。

これもまたトレードオフともいえるが、若い時代の投資を貯蓄に回し、ヨボヨボのおじいちゃんおばあちゃんなったときのために使うなんて勿体無いし、その時代がどうなっているなんて誰に予想できようか。

結局は頭を使っていないんだろう。

決して株や投資向け不動産を買えとは言っていない。

単にどのようにしたら使い、増やすことができるのだろうと頭を使うことが大事。

とはいえ、まだ私自身未熟なのでささっと身につけていく所だ。

ハマることに没頭できているだろうか

私は小中学校の時は空いている時間があればひたすらにテレビゲームをしていた。

ポケモン、ボンバーマン、マリオ、スマブラ、ゼルダの伝説、ファイナルファンタジー、ドラクエ、そしてテイルズ。

ゲームできる人がかっこいいと思っていた時期もあったくらいで、ひたすら没頭した。もちろん最低限の宿題はしていたが、それ以上をやる必要はないと感じゲーム三昧だった。

ハマったいる時は時間があっという間にすぎ、インプット量は半端なくあり、アウトプット(攻略法、攻略法の伝授など)ができる。

それが社会に役に立つのか?と聞かれると正直答えに困るが、没頭モードに入ることが重要であり、他の分野に応用できることを知っている。

現に、大学受験や留学中も圧倒的に没頭して周りを脅かしていたこともあるくらいだ。

しかし、現代人はハマることに抵抗があり、「時間がない」とか「周りの目があるからなあ」と何かにつけて言い訳をしてしまう。それは自信がない証拠かもしれないし、そもそも熱量が不足している証拠かもしれない。

仮にハマって没頭していれば、いつかそれがビジネスのタネになるかもしれないし、今は楽しいことをすることでお金をもらえる時代でもある。まるでyoutuberが広告費で稼いでいるように。

カッコつけて何も行動に起こさないよりかは、何かに没頭している人間の方が私は価値があると考える。そして自分もそうでありたい。日本にはその環境が実際あると思うので、自分含めて若い人には挑戦してもらいたい。ちなみに、やりたくないことはやらなくていいと思うので自分に素直になれたらいいね。